屏風(びょうぶ)の歴史と文化
部屋の仕切りや装飾に用いる調度品に「屏風(びょうぶ)」があります。
木の枠に小さなふすまのようなものを数枚つなぎ合わせて折り合わせた構造です。
「風を屏(ふせ)ぐ」という言葉に由来します。
▲屏風
歴史は古く、中国の漢時代には、すでに風よけの道具として存在し、
魏、晋、南北朝時代には、王族の贅沢な装飾品へと変化していきました。
日本では文献上、『日本書紀』に初めて屏風に関する記述がみられます。
日本における最も古い屏風は、
686年に朝鮮半島の新羅より献上されたものだといわれています。
現存のものでは、8世紀に作られた「鳥毛立女屏風」が
正倉院に保管されています。
平安時代や鎌倉時代の屏風は、わずかに確認されていますが、
室町時代になると水墨画や極彩色の屏風が多く制作されるようになり、
今日の屏風絵の形態が整い、近世の金碧障?画へと発展しました。
中世では輸出品として珍重され、外国への贈答品としても使われ、
遣明船では、必ず金屏風三双を送る習わしでした。
永享5年(1433年)、遣明船の朝貢品予算リスト
「渡唐御荷物色々御要脚」には「御屏風 参双 代百五貫文」と計上され、
天文10年(1541年)、大内義隆が狩野元信に制作依頼した発注書では
「一双分代。三十五貫文」と明記されています。
近世では安土桃山時代から江戸時代にかけ贅を尽くした
金地のきらびやかな屏風がたくさん作られました。
▲鳥毛立女(とりげりつじょ)屏風(第4部分)
基本的な構造は、矩形(くけい)の木枠の骨格に用紙または用布を
貼ったもので、この細長いパネルを一扇といい、向かって右から第一扇、
第二扇と数えます。
これを接続したものが屏風の一単位、一隻(一畳、一帖)です。
かつては屏風側から見て右側を右隻、左側を左隻と呼びましたが、
近年は向かって右側の屏風を右隻、左側の屏風を左隻と呼ぶ傾向にあります。
奈良・平安時代は一隻六扇(六曲)が一般的で、
各扇を革紐などでつなぎ、一扇ごとに縁をつけていました。
鎌倉時代に紙製の蝶番が案出され、現在のように前後に開閉可能になりました。
また、初期の屏風絵は一扇(1つのパネル)ごとに縁取りがありましたが、
それが二扇をつないだ縁取りになり、室町時代初期には屏風全体が一続き
となる大画面が実現しました。
14世紀前半には二隻(一双)を単位とする、六曲一双形式が定型となり、
江戸時代に入ると二曲や八曲の屏風も出現しました。
金箔、切箔、金砂子、金泥などで加飾した
金屏風などは結婚式場などで活用されています。
芸能人の婚約記者会見会場などのセットにも用いられます。
箏曲地歌(そうきょくじうた)などの近世邦楽の正式な演奏会では
緋色の布とともに用いられるのが普通であり、地歌舞、日本舞踊、歌舞伎等の
パフォーマンスの背景に置かれたり、古典園芸植物の屋内展示のバック
として用いられることが多いです。
屏風は完全に折り畳んだり、板状に広げきったりした状態では
倒れやすく、その中間だと安定して設置できます。
このため、世渡りには妥協や少々のルール違反も必要という意味で
「人と屏風は直ぐには立たぬ」「屏風と商人は曲げねば立たぬ」
という諺があります。
中国大陸では、幽霊は屏風が壁に見えると言う俗信があり、
伝統的な建物の入り口が_-_状になっているのはそのためであると言う
説もあります。
▲国宝・「婦女遊楽図」(松浦屏風、左隻) 大和文華館所蔵
▲国宝・「婦女遊楽図」(松浦屏風、右隻) 大和文華館所蔵
▲「玄宗楊貴妃遊園図屏風」(狩野永徳作)
▲「聚楽第(じゅらくてい)図屏風」 三井記念美術館所蔵
▲鳥山石燕が描いた妖怪「屏風覗」(『今昔百鬼拾遺』掲載)
▼コロナウィルス防護対策の「間仕切り」に、
安全性と装飾デザインを両立させた商品があります。
↓↓↓↓↓↓
https://bit.ly/2LEk78K
▼コロナウィルス対策商品
https://bit.ly/373oUs6
参考文献;
三井記念美術館(東京都中央区日本橋)
https://bit.ly/36Zuuvf
大和文華館(奈良市学園南)
https://bit.ly/3q7bwun
Wikipedia;
屏風(びょうぶ)
https://bit.ly/3p9eixT
日本書紀
https://bit.ly/3a4MTZv
新羅(しらぎ/しんら)
https://bit.ly/2MQyPu0
遣明船(けんみんせん)
https://bit.ly/3q7CHoF
大内義隆(おおうち よしたか)
https://bit.ly/3cUUig1
狩野元信(かのう もとのぶ)
https://bit.ly/3jBJqVz
正倉院
https://bit.ly/3rF6bLb
箏曲(そうきょく)
https://bit.ly/2Oo4CTA
地歌(ぢうた)
https://bit.ly/36Zuag1
松浦屏風(まつうらびょうぶ)
https://bit.ly/2Or0imv
大和文華館
https://bit.ly/370kaTV
狩野永徳(かのう えいとく)
https://bit.ly/3tMrHPM
三井記念美術館
https://bit.ly/3jBTcXQ
聚楽第(じゅらくてい、じゅらくだい)
https://bit.ly/3tMH6zF
鳥山石燕(とりやま せきえん)
https://bit.ly/2Z2Kus5
今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)
https://bit.ly/3rDVicr
https:///www.comfortmk.com
木の枠に小さなふすまのようなものを数枚つなぎ合わせて折り合わせた構造です。
「風を屏(ふせ)ぐ」という言葉に由来します。
▲屏風
歴史は古く、中国の漢時代には、すでに風よけの道具として存在し、
魏、晋、南北朝時代には、王族の贅沢な装飾品へと変化していきました。
日本では文献上、『日本書紀』に初めて屏風に関する記述がみられます。
日本における最も古い屏風は、
686年に朝鮮半島の新羅より献上されたものだといわれています。
現存のものでは、8世紀に作られた「鳥毛立女屏風」が
正倉院に保管されています。
平安時代や鎌倉時代の屏風は、わずかに確認されていますが、
室町時代になると水墨画や極彩色の屏風が多く制作されるようになり、
今日の屏風絵の形態が整い、近世の金碧障?画へと発展しました。
中世では輸出品として珍重され、外国への贈答品としても使われ、
遣明船では、必ず金屏風三双を送る習わしでした。
永享5年(1433年)、遣明船の朝貢品予算リスト
「渡唐御荷物色々御要脚」には「御屏風 参双 代百五貫文」と計上され、
天文10年(1541年)、大内義隆が狩野元信に制作依頼した発注書では
「一双分代。三十五貫文」と明記されています。
近世では安土桃山時代から江戸時代にかけ贅を尽くした
金地のきらびやかな屏風がたくさん作られました。
▲鳥毛立女(とりげりつじょ)屏風(第4部分)
基本的な構造は、矩形(くけい)の木枠の骨格に用紙または用布を
貼ったもので、この細長いパネルを一扇といい、向かって右から第一扇、
第二扇と数えます。
これを接続したものが屏風の一単位、一隻(一畳、一帖)です。
かつては屏風側から見て右側を右隻、左側を左隻と呼びましたが、
近年は向かって右側の屏風を右隻、左側の屏風を左隻と呼ぶ傾向にあります。
奈良・平安時代は一隻六扇(六曲)が一般的で、
各扇を革紐などでつなぎ、一扇ごとに縁をつけていました。
鎌倉時代に紙製の蝶番が案出され、現在のように前後に開閉可能になりました。
また、初期の屏風絵は一扇(1つのパネル)ごとに縁取りがありましたが、
それが二扇をつないだ縁取りになり、室町時代初期には屏風全体が一続き
となる大画面が実現しました。
14世紀前半には二隻(一双)を単位とする、六曲一双形式が定型となり、
江戸時代に入ると二曲や八曲の屏風も出現しました。
金箔、切箔、金砂子、金泥などで加飾した
金屏風などは結婚式場などで活用されています。
芸能人の婚約記者会見会場などのセットにも用いられます。
箏曲地歌(そうきょくじうた)などの近世邦楽の正式な演奏会では
緋色の布とともに用いられるのが普通であり、地歌舞、日本舞踊、歌舞伎等の
パフォーマンスの背景に置かれたり、古典園芸植物の屋内展示のバック
として用いられることが多いです。
屏風は完全に折り畳んだり、板状に広げきったりした状態では
倒れやすく、その中間だと安定して設置できます。
このため、世渡りには妥協や少々のルール違反も必要という意味で
「人と屏風は直ぐには立たぬ」「屏風と商人は曲げねば立たぬ」
という諺があります。
中国大陸では、幽霊は屏風が壁に見えると言う俗信があり、
伝統的な建物の入り口が_-_状になっているのはそのためであると言う
説もあります。
▲国宝・「婦女遊楽図」(松浦屏風、左隻) 大和文華館所蔵
▲国宝・「婦女遊楽図」(松浦屏風、右隻) 大和文華館所蔵
▲「玄宗楊貴妃遊園図屏風」(狩野永徳作)
▲「聚楽第(じゅらくてい)図屏風」 三井記念美術館所蔵
▲鳥山石燕が描いた妖怪「屏風覗」(『今昔百鬼拾遺』掲載)
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https://bit.ly/373oUs6
参考文献;
三井記念美術館(東京都中央区日本橋)
https://bit.ly/36Zuuvf
大和文華館(奈良市学園南)
https://bit.ly/3q7bwun
Wikipedia;
屏風(びょうぶ)
https://bit.ly/3p9eixT
日本書紀
https://bit.ly/3a4MTZv
新羅(しらぎ/しんら)
https://bit.ly/2MQyPu0
遣明船(けんみんせん)
https://bit.ly/3q7CHoF
大内義隆(おおうち よしたか)
https://bit.ly/3cUUig1
狩野元信(かのう もとのぶ)
https://bit.ly/3jBJqVz
正倉院
https://bit.ly/3rF6bLb
箏曲(そうきょく)
https://bit.ly/2Oo4CTA
地歌(ぢうた)
https://bit.ly/36Zuag1
松浦屏風(まつうらびょうぶ)
https://bit.ly/2Or0imv
大和文華館
https://bit.ly/370kaTV
狩野永徳(かのう えいとく)
https://bit.ly/3tMrHPM
三井記念美術館
https://bit.ly/3jBTcXQ
聚楽第(じゅらくてい、じゅらくだい)
https://bit.ly/3tMH6zF
鳥山石燕(とりやま せきえん)
https://bit.ly/2Z2Kus5
今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)
https://bit.ly/3rDVicr
https:///www.comfortmk.com